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こんにちは!
この記事では、数々の遺跡を発掘したドイツ出身の実業家・考古学者ハインリヒ・シュリーマン(Heinrich Schliemann)の『古代への情熱』(原題:”Ilios: City and Country of the Trojans”)についての感想を書いていきたいと思います。
この自伝(的書籍)を読んだことにより彼の執念とも呼べる情熱を肌で感じることができたし、今では誰もが知るような遺跡を次々と発掘している功績は素晴らしいのになかなか認められなかった彼の苦労も見てとれました。
遺跡に興味がない人も楽しめる、ある意味自己啓発本ともいえる本です。
『古代への情熱』
構成
『古代への情熱』は、H.シュリーマンの自伝的部分をまとめた書籍です。
彼がどのようにして、トロイやミケーネなどの古代都市の発掘に至ったのかが詳しく述べられています。
1章はシュリーマンの自伝、2章以降は、シュリーマンの没後に彼の意思を継ぐ人々による記述です。
幼少期から商人時代
シュリーマンは幼少期からホメロスの詩、特に『イリアス』に魅了されました。
トロイア戦争は実際にあった!と少年の頃に抱いた夢を叶えるために、まずは遺跡発掘のための資産を作ります。
彼は独学で言語を学び、商人として成功を収めました。
語学学習法
話は遺跡から逸れますが、シュリーマンは約18か国語を独学によって身につけています。
日本語が母語の私は、ドイツ人だからドイツ語と似てる言語があるから簡単ではないのか?と思ってしまいますが、約18か国語となるとそうもいきません。
英語、ギリシャ語、ラテン語、イタリア語、アラビア語、古代ギリシャ語など、ツールが溢れている現代においても難しい言語を独学で習得しているのです。
彼の語学習得法は至ってシンプルで、音読、作文、暗記の徹底です。
ただし、ただの音読ではありません。
「大声で」音読するため、時にはうるさくてアパートから追い出されてしまったこともあるというのです。
また、人が見ている方が良いという理由で「音読している自分を見ている人」を雇うこともありました。
毎日の作文を欠かさず、先生に添削してもらうとそれを音読し暗唱する。
そして、1つの言語にかける時間はたったの6週間!
私は割とまじめに中学高校と6年間英語を勉強しても全く話せるようにはならなかったのですが……シュリーマン方式の語学学習をしていたら今頃マルチリンガルになれていたんじゃないか!?
今からでも遅くないだろうか。6週間なら頑張れる気がする。
考古学者へ
さて、事業で成功し、財を築いた彼は、その資金を使って幼少期からの夢だったトロイの発掘を実現しようとします。
1868年から1869年まで、イタカ、ペロポネソス、トロイへの旅をします。
この旅をしたことで他の学者に「幼少期からの夢であれば旅行なんてしない」と難癖をつけられてしまうのですが、その後、ホメロスの記述からトロイは現在のトルコ、ヒサルリクにあると特定して発掘を開始します。
そして、「プリアモスの財宝」と呼ばれる黄金や銀の遺物を発見するのです。(現在は、年代的にプリアモス王の時代のものではないと考えられています)
彼はこの発掘で国際的に大きな注目を集めました。
次に、ギリシャのペロポネソス半島に位置するミケーネの発掘を行います。
ギリシャのミケーネでの発掘では、ミケーネ文明の証拠である王墓や遺物を発見しました。
アテネのオモニア広場周辺にある国立考古学博物館には、ミケーネ遺跡から出土した「黄金のマスク」が所蔵されています。
シュリーマンは「アガメムノン王のマスク」と主張しましたが、実際にはアガメムノン王の時代より古い時代のものとされています。
晩年
シューリーマンは、1890年の年末にドイツのライプツィヒで耳の手術を受けました。
しかし、完全に回復することはなく、イタリアのナポリで倒れ、12月26日に亡くなりました。
享年68歳でした。
リタイアしていてもおかしくはない年齢になっても、彼は最期まで情熱を持ち続け、遺跡に関わり続けました。
終わりに
『古代への情熱』は、ホメロスの『イリアス』に魅せられたシュリーマンの探究心と、遺跡を探し当てるために費やした努力が伝わってくる作品です。
彼の発掘手法には問題があったと指摘されていますが、彼の業績は歴史上に重要で考古学の発展に貢献したことは事実です。
シュリーマンは幕末の日本にも訪れて、約1ヶ月間滞在しています。
彼の著書『中国と日本』についても今後書いていきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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